鴻巣高校は、創立から100年を超える県下屈指の伝統校です。浦和・熊谷・川越・粕壁(春日部)・埼玉(不動岡)の各中学に次いで、県下で6番目に古い中学、武陽中学として、大正7年(1918)、加藤政之助・鈴木清作によって創設されました。

加藤政之助は、安政元年(1854)馬室村(現鴻巣市)に生まれました。17歳で馬室村村長となり、その後、慶応義塾で尾崎行雄や犬養毅等とともに福沢諭吉から学び、明治から昭和初期にかけて激動の日本社会を、ジャーナリスト・政治家・教育者として生き、郷土の発展と日本の近代化のために活躍した人物です。

加藤政之助は武陽中学で、若者に対し熱弁をふるって、「心清く、気高く、他人(ひと)のために生きられる律儀な青年に育て」と教え、若者の人格形成に大きな影響を与えました。100年の長い歴史に育まれた教育環境のもとで、豊かな人間性を育み品格や能力を培う教育は鴻巣高校の伝統です。

本校の卒業生は数万人に及び、政治・経済・教育・文化・スポーツなどあらゆる分野で活躍しています。現在俳優として活躍している照英さん、西武ライオンズで活躍している小野寺投手なども本校の卒業生です。

加藤政之助は本校の設立の他に、26歳の時に五代友厚や大阪の豪商の協力を得て、大阪市立大学の前身「大阪商業講習所」を創設(明治13年)、大東文化大学の前身「大東文化学院」の第7代総長への就任(昭和7年~13年)など教育の振興に貢献した。一方で、埼玉県議会議長(明治15年~23年)、憲政会初代政調会長など要職を歴任。犬養毅と連携し北海道開発に尽力。明治憲法の制定に際し、イギリス流の立憲君主制・政党内閣・二院制実現のために活躍。昭和の時代に入り、軍部だけでなくマスコミも国民の多くも軍備拡大を支持する中で、国会で軍縮演説を実施。慶應義塾での同級生犬養首相暗殺の8ヶ月後のことであった。